2015.3.9 いすみ鉄道 城見ヶ丘駅(・∋・)
2015年 03月 09日
3/9(月)に行ってみたらあいにくの雨模様。それでも降り立ってみたかったので行きました。
このホームに立ったのは随分久しぶりです。
菜の花が沿線の中でも比較的早く咲きますし、例年多く咲きます。
雨にも負けず、撮りました。
きくところに寄れば、今年中(今年度までかも。。。)に古い車両は引退するらしいです。本当に最後にもう1度乗りたいんですが、機会を作るのが難しそうです。ともあれ、当方が初めていすみ鉄道に来た時に出会った車両「いすみ201」の旅立ち直前に会えたので良かったと思うことにします。
この日、更に不思議なことがありました。(今回書くこと以外の不思議な事は「い鉄子」記事参照。)
新型に乗っていたら、何となくエンジン音に親しみが持てる感覚が湧いてきたのです。新潟トランシスの車両ですから、富士重工の車両と同じ音がするはずはないのですが、何故か加速音の中に「いすみ200」の面影(って表現が微妙w)を感じられるような気がしてきて・・・。
前回までそんな感じはあんまり意識していなかったです。この日乗っていてふっと思った次第。
何だかよく分かりません。でも、もしかしたら人ってこういう風に慣れていくのかもしれませんね。
そして、多分当方はいすみ鉄道全体が好きなんだろうなぁと思います。
ゆるやかに変化を受け入れて楽しんでいくことができているからこそ。
* * * * * * * * *
ただ、一方で。当方の中でにわかに受け入れがたい変化があることも確かです。
田畑に広がりつつある「黒い影」。(→例の有名な踏切の所です。今はやりのアレですよ。)
鬱蒼としていたはずの森林が開けて明るくなっていたこと。
(→西畑~総元の一部区間です。最近大多喜~上総中野に乗っていなかったので[乗っても夜だったし・・・]今回乗るまで気が付きませんでした。鉄橋を渡っているのか分からないくらいの鬱蒼とした森を通る部分が、前とかなり印象が変わりました。一体何を作るつもりなんでしょうか・・・?)
変化はあって然るべきですが、自然が必要以上に壊されていくのは見て居たくないのが正直なところです。自分にはどうにもできないですし、口出しする権利もないですが。
しかしながら、本当にこのまま看過していていいのでしょうか?
権利を持っている方々に、しっかり考えて頂きたく。
お金は大事でも、自然はもっと大事な財産ですから。
今のままだと、そのうち「あの頃はよかったなんていいたくはなかったのになぁぁぁぁぁ♪(ぉぃ)」なんて口ずさみながら沿線をウロウロすることになってしまうのではないかと懸念しています。あの時行っておいてよかった・・・などと足がドンドン遠のいてしまうのではないかとも。家事都合もあるので、それはそれで良かったという方向に考えていって、万が一それが本望になるのだったら当方はファンを辞めることになってしまう可能性さえあります。(これは少なくとも、2年くらい前までは持ちえなかった悩みです。)
沿線は話題になっていて盛り上がっていますが、当方自身は今までには無かった・今までとは違った危機のさなかにあるのではないかとも思ってしまいます。(心のもちようってヤツですね。)
今も定期的に行きたくはなっても、その度に「これ以上沿線風景が失われる様子を見て居たくない」という気持ちも心のどこかで感じています。だから、もういっそ離れていた方がいいんじゃないか?とも思ってしまいそうです。いつもはあまり難しく考えないようにしていますが、それでもやっぱり心の中で割り切れないものがいつも残っています。少なくとも昨年辺りからは・・・。
八方ふさがりと言っている人がいましたが、当方も人のことがいえないのかもしれません。
この自分の心の持ちようとどう向き合い、変わりゆく沿線風景をどう見つめてゆけばよいか。
もう少し静かに考えてみようと思います・・・。
今から沿線を知る人はきっとある意味幸せなのかもしれません。
でもなぁ、そんなことを言って離れていくの、やっぱ嫌なんだよな。
またあとで、じっくり考えてみます。
いずれにしても、沿線がどうか無事であってほしいです。
様々な災害の懸念がある中ですが、どうか明日も穏やかであってほしいです。
それだけはどんなに沿線が変わったとしても、変わらない想いになるはずです・・・。
もうすぐ、あの日が巡ってきます。
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